アクハイヤーと新規採用の離職率の違い。人材獲得型M&Aを成功させる要諦

M&A

企業の新たな人材獲得手段として「アクハイヤー」と呼ばれるM&A戦略が注目されています。

アクハイヤー(Acqui-hiring)とは買収先企業が提供する製品やサービスよりも、そこで働く優秀な人材の獲得を目的とするM&Aのことを指します。

この言葉は、「Acquisition(買収)」と「Hiring(採用)」を組み合わせた造語であり、特にシリコンバレーを中心としたIT企業やスタートアップ業界でよく用いられている手法です。

スタートアップや小規模企業の社員は、高度な技術や専門知識を持ち、イノベーションの源泉として評価されることが多いため、大企業がこれらの人材を確保するための戦略として活用しています。

アクハイヤーの背景

アクハイヤーが注目される背景には技術革新のスピードが急速に高まる中での優秀な人材の不足があります。

現代のビジネス環境においては、単なる製品やサービスの質だけでは競争力を維持することが難しく、卓越したスキルや創造力を持つ人材が重要な資産とされます。

こうした中で革新的なプロジェクトを成功させるために、人材を迅速かつ効率的に確保する方法としてアクハイヤーが選択されることが増えてきたのです。

アクハイヤーのメリット

アクハイヤーの最大のメリットは、即戦力となる人材を一括して採用できる点です。特に競争の激しいIT業界では、優秀な人材を他社より早く確保することが重要であり、採用市場での競争が熾烈になりがちです。

通常の採用プロセスでは、数ヶ月以上にわたる選考プロセスが必要で、理想的な人材を見つけるには長期間かかることもあります。しかし、アクハイヤーを通じて買収した企業の社員を一気に取り込むことで、選考やトレーニングに費やす時間とコストを大幅に削減することができます。

また、アクハイヤーによって獲得した人材はすでにチームとしての協力体制が整っている場合が多く、彼らが持つ独自のチーム文化や作業フローを維持しながら業務を進めることが可能です。これにより、新しいプロジェクトの立ち上げや既存事業の強化において、迅速かつ効果的な成果が期待されます。

アクハイヤーのデメリット

一方で、アクハイヤーにはいくつかのデメリットも存在します。最大の課題は人材の定着です。買収によって獲得した人材が新しい企業文化や経営方針に適応できず、短期間で退職するケースも少なくありません。

ペンシルベニア大学ウォートン・スクールのダニエル・キム博士の調査によると、アクハイヤーによって参画した社員と、通常採用の社員の離職率を比較すると、前者の離職率のほうが高いことが分かっています。

買収後の1年目で離職率の差は約20%に達し、買収された企業の社員が比較的早い時期に退職する傾向があります。この離職率の差は時間が経過するほどに縮小しますが、それでも買収から3年目でも約10%程度の差があります。

アクハイヤーの離職率が低いパターン

この調査では、アクハイヤーによって参画した社員の離職率が低いパターンも判明しています。具体的には以下の通りです。

(1) 前職の勤務期間が長い

買収された元の企業での勤務期間が長い社員ほど、買収後の離職率が低い傾向があります。これは長期間在職していることにより、その社員が培ってきたスキルや職場内での人間関係が、買収後の新しい環境にも引き継がれているためと考えられます。

例えば、元の企業内で形成された非公式な知識や人脈などは、新しい職場での業務にも役立つ可能性が高いです。このような「組織に特有の知識やスキル」は新しい企業に適応しやすくする一因となり、結果として離職率の低下に寄与していると考えられます。

(2) 創業者が残留する

買収後にスタートアップの創業者が新たな親会社に残留するかどうかも、離職率に影響を与える重要な要因です。創業者が残る場合、組織的な一貫性や職場の雰囲気が保たれやすく、社員の心理的な安全性が保たれます。

買収される側の社員にとって、創業者は企業文化や業務体制を象徴する存在であるため、残留することで「以前と同じ環境が続いている」という印象を与えやすく、結果的に離職率が低くなるとされています。

逆に、創業者が早期に退職するケースでは、組織の一貫性が損なわれ、残った社員にとっては職場環境の変化が大きく感じられるため、離職率が高まる可能性があります。

(3) 統合か分離かの選択

買収された企業が新たな親会社に完全に統合されるケースと分離して独立性を保つケースでも離職率に顕著な差がみられました。

親会社に完全に統合される場合、従来の組織文化や役割が変更されることが多く、買収された企業の社員が感じる「職場の適合性」が低下することが分かっています。特に企業の文化が大きく異なると疎外感を抱く可能性が高まります。このような環境変化が離職率を高める要因の一つとなっています。

一方、買収された後も親会社から独立した形で元の組織が存続する場合には、従来の企業文化や業務スタイルが保たれやすいため、買収された企業の社員にとって適合しやすい職場環境が継続されます。そのため「変わらない安心感」を持ちやすく離職率が低くなります。

ここまで説明したように、アクハイヤーによって参画した社員の離職率には、前職での在職期間や創業者の残留、そして買収後の統合・分離の決定が大きく影響を及ぼしています。

企業がM&Aを進める際にはこれらの要因を考慮することで、買収社員の定着率を向上させる可能性があるといえます。

日本でも拡大が予想されるアクハイヤー

アクハイヤーは、企業の成長戦略や人材育成に関する考え方を変革する手法として注目されています。

特にテクノロジー企業やイノベーションを求める産業では、競争力を高めるために有望なスタートアップの人材を買収し、即戦力として組織に取り入れる動きが活発です。

例えば、GoogleやFacebook(meta)などの大手テクノロジー企業は、スタートアップをアクハイヤーすることで革新的なサービスの開発や既存事業の強化を図っています。

この流れは、今後も続くと予想されており、技術革新が進む限り、アクハイヤーの重要性は高まっていくと考えられます。

日本市場においては、アクハイヤーはまだ新しい概念であり、アメリカほどの頻度で活用されていません。しかし、少子高齢化や人材不足が進む中で、特に技術人材を求める企業がアクハイヤーを検討するケースが増えています。

日本の企業文化は、階層的な組織体制が根強く、買収後の適応には時間がかかることも多いです。そんな中、人材定着の問題が浮き彫りになることも予想されます。

このような問題によって、アクハイヤーのメリットを潰さないためには、買収された側の社員の適応を支援し、スムーズに新しい職場に馴染めるようにすることが成功の鍵となります。

参考文献:J. Daniel Kim. (2023). Startup Acquisitions as a Hiring Strategy: Turnover Differences Between Acquired and Regular Hires.