組織のアイデンティティによってM&A後の最適な経営統合は変わる

M&A

毎年、世界中の企業が数兆ドル以上をM&A(合併と買収)に費やしているそうです。

しかし、そのうち70~90%が失敗に終わるというデータもあります。日本国内の中小企業のM&Aの失敗率はそこまで高くはないですが…

M&Aに失敗する要因には、財務・運営の相乗効果の過大評価、統合プロセスの不明確さ、交渉のミス、オペレーションの違いなどが挙げられます。ですから、これらのリスクに配慮しながらPMI(M&A後の統合プロセス)を進めることが成功のためには必要とされます。

これらに加え、最近は組織のアイデンティティを意識することもM&A成功の重要な要因なのではないかという考えがあります。なので今回はちょっとその話をしたいと思います。

M&Aにおける組織アイデンティティの役割

組織のアイデンティティとは、その組織が「自分たちは何者か」を定義する、中心的かつ持続的な特徴のことです。これは組織の価値観や目標を反映し、メンバーに心理的な安定感を提供するものです。

M&Aでは、このアイデンティティが変化を余儀なくされるため、適切に管理されないと、社員の不安や摩擦が生じ、業務効率や収益性に悪影響を及ぼす可能性があります。

グランド・バレー州立大学のマヘンドラ・ジョシ教授は、M&Aにおける組織のアイデンティティの統合には主に2つの方法があるといっています。

  1. 同化(Assimilation)
    被買収企業の組織アイデンティティを親会社のアイデンティティに吸収させるアプローチです。この方法では、買収後の統一された組織文化や価値観、ブランド戦略の下で新たな組織を構築します。同化は、特に両企業が類似するアイデンティティを持つ場合に有効です。
  2. 同盟(Confederation)
    買収後も両企業の組織アイデンティティを独立して維持するアプローチです。この方法では、両社はそれぞれの文化や運営方法を尊重しつつ、同じ企業グループの一部として緩やかに協力する関係を築きます。同盟は特に、両企業のアイデンティティが大きく異なる場合に適しています。

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組織のアイデンティティとM&A後の経営統合の形

M&Aにおける成功と失敗は、企業間の組織アイデンティティの類似性と、それに基づく統合方法の選択によって大きく左右されます。この2つの要素の組み合わせ4パターンによる結果を、以下に詳しく解説します。

1.類似するアイデンティティ × 同化

類似するアイデンティティを持つ企業が同化を選択する場合、このアプローチは最も効果的です。類似性の高い企業間では、価値観や目標が一致しているため、従業員同士が自然に協力しやすく、統合プロセスにおける摩擦が最小限に抑えられます。例えば、企業文化や経営理念が共通している場合、従業員間でのコミュニケーションがスムーズになり、目標達成に向けた一体感が生まれやすくなります。

同化を選ぶことで、ブランド統一やシステムの統合、業務プロセスの効率化が容易になります。また、従業員が自分たちのアイデンティティが新しい組織の一部として継続していると感じられるため、心理的安定感が保たれ、モチベーションの向上にも寄与します。

2.類似するアイデンティティ × 同盟

類似するアイデンティティを持つにもかかわらず、同盟を選択した場合、期待される相乗効果が十分に発揮されない可能性があります。このアプローチでは、両企業が独自のアイデンティティを維持するため、協力の枠組みが限定され、資源の統合や効率性向上のチャンスが失われることがあります。

さらに、従業員が両社の間で「同じことそしているのになぜバラバラなのか」と疑問を抱くことで、心理的な不安や不満が生じることもあります。これにより、チームとしての一体感が損なわれ、組織全体のパフォーマンスが低下する可能性があります。特に、統合の目的がコスト削減や市場シェア拡大などの明確なシナジー効果を求めている場合、同盟ではこれらの目標を達成することが難しくなるでしょう。

3.異なるアイデンティティ × 同化

異なるアイデンティティを持つ企業が同化を選択した場合、従業員の心理的反発や摩擦が深刻な問題となる可能性があります。このアプローチでは、被買収企業の従業員が自分たちのアイデンティティを失うと感じることが多く、これが組織統合の妨げとなります。

特に、被買収企業が持つ独自の文化や価値観が、統合後の組織において軽視される場合、従業員は新しい組織に対する帰属意識を持ちづらくなります。その結果、ストレスや対立が生まれ、生産性の低下や離職率の増加といった問題が生じます。また、社員が心理的に統合を受け入れない場合、業務効率が悪化し、M&Aによる相乗効果の実現が難しくなるでしょう。

4.異なるアイデンティティ × 同盟

異なるアイデンティティを持つ企業が同盟を選択した場合、両企業のアイデンティティが独立したまま維持されるため、従業員間の大きな摩擦や反発を避けることができます。このアプローチでは、各企業がそれぞれの強みを活かしながら独自の運営を続けることが可能です。

ただし、この方法ではアイデンティティの統合が行われないため、組織全体としての一体感が欠ける場合があります。また、両企業が別々に運営されるため、コスト削減や業務効率化といった統合による利益を得ることが難しいことが課題となります。結果として、M&A後のパフォーマンスは中立的、もしくは限定的な成果にとどまることが多いです。

LenovoによるIBMのPC部門の買収

Lenovoが2005年にIBMのPC部門を買収した事例は、M&Aの成功例として広く知られています。この買収が成功した主な要因は、両社の組織のアイデンティティが高い類似性を持ち、適切な統合戦略が採用されたことにあります。

IBMのPC部門は、長年にわたり「信頼性」と「高品質」を重視したブランドとして知られており、Lenovoも同様の価値観を共有していました。この類似性により、両社の従業員間で自然な連携が可能となり、文化的な摩擦を最小限に抑えることができたのです。

統合の具体策として、LenovoはIBMの「ThinkPad」というブランド名を維持し、IBMの既存の開発チームや営業組織をほぼそのまま残しました。また、IBMの主要顧客である米国企業との関係を重視し、顧客の信頼を損なわないよう慎重に統合プロセスを進めました。

さらに、LenovoはIBMの供給網や流通ネットワークを活用することで、効率性を向上させると同時に、社員の心理的な安定感を保つことに成功しました。これらの措置により、M&A後の業績は安定し、Lenovoは世界市場における地位を大幅に向上させることができたのです。

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新しい組織のアイデンティティを築く

M&A成功の鍵は、財務や運営の要素だけでなく、組織アイデンティティの統合にもあります。

適切な統合方法を選択し、従業員の心理的な安定を保ちながら新しい組織のアイデンティティを築くことが、収益性や長期的な成長に寄与します。

企業がこれらのポイントを押さえることで、M&Aの成功率を高めることができます。

参考文献:Mahendra Joshi, Carol Sanchez, Paul Mudde, (2018) “Improving the M&A success rate: identity may be the key”, Journal of Business Strategy.