今回はM&A後の統合プロセス、いわゆるPMI(Post-merger integration)についてのお話です。買い手側に向けての内容となりますが、企業経営一般に適用できることかと思います。
M&A成立後の大量退職のリスク
無事にM&Aの契約が成立した後もリスクは残っています。その一つが従業員の大量退職とパフォーマンスの低下です。買収された後におよそ半数の従業員が退職を検討するという調査結果もあります。
また、キーマン条項(※1)で指定していない影のキーマンが辞めてしまうことで、目に見えない重要な役割を果たす人間がいなくなり、組織の活力が失われることもあります。
仮にすべての従業員が辞めずに残ってくれたとしても、心情的に引っかかるものが生じていたりするものです。それによって仕事の成果が落ちたりすることもあります。
そうなると本来期待していた、M&Aによる成長やシナジーは見込めなくなってしまいます。
※1 譲渡企業の運営において重要な役割を果たす社長や役員、主要な技術者などが、M&A後も一定期間は退職せずに残ることを定める条項。
なぜM&A後に従業員の大量退職が起こりやすいのか?
まず、従業員はなぜM&A後に退職を考えるのでしょう?
それは人間が変化を恐れる生物だからです。仮に財務基盤の安定した会社によって買収されたとしても、必ずしも肯定的な気持ちになるわけではないのです。会社が安定することは良いことだと思いますが、それ以上に未知の変化についてのネガティブな思考の方が強くなるのです。
まだ、M&Aの成立が知らされただけで、具体的な統合プロセスに入っていない時点であっても、このような不安が生じますから退職を検討するのです。
統合プロセスによるストレスとメンタル
実際にプロセスが開始されると新たなストレスが発生します。
最近は買収する側もいろいろと理解していますから、強引な手法でそれまでのオペレーションを一気に変えるようなことはしませんし、「今までのやり方を尊重する」と言います。しかし、買収された側の従業員は新しい企業文化や経営方針への適用をせざるを得ない状況には置かれます。
特に嫌なことがなくとも、このような組織の大きな変化は心理的なストレスを生みます。するとM&A後の統合プロセスと関係のないところ、例えばいつもの顧客との間でトラブルが起こった時もメンタルを病みやすくなるのです。
いつもならすぐに切り替えられるのですがM&Aという大きな変化によるストレスを受けている時は、そちらで認知のリソースを消費していますから、切り替えに使うリソースが足りず、心が折れやすくなるのです。そして「この会社でやっていくのは無理だ」という思い込みを持ちやすくなってしまうということです。
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M&A後の大量退職を防ぐ方法
M&A後の大量退職を防ぐにはどうすれば良いのでしょうか?
それは全員に「心理的所有権」を持ってもらうことです。これは従業員が仕事や組織を「自分のもの」と感じる感覚のことです。
心理的所有権が高い従業員はM&A後に退職する可能性が低いのです。なぜなら組織をより良くしたいと思っているため、「前向きなものであれば変化や挑戦に適用したい」という動機が生じやすいからです。
また心理的所有権が高い従業員は変革に積極的に貢献しようとする意識も高いことが経営学者らの研究からも判明しています。心理的所有権は組織の一体感にも寄与しますから、それが退職リスクの低減にもつながるといえます。
心理的所有権を高める方法
心理的所有権を高めるにはどうすれば良いでしょうか?
金銭的なインセンティブだけでは不可能です。従業員が仕事やプロジェクトに「主体的に取り組んでいる」という感覚が必要なのです。そのためには戦略的なアプローチが重要です。ここでは、その具体的な方法を3つご紹介します。
1.従業員の関与を促進する仕組みづくり
M&Aの成立が公表された直後の早い段階から、従業員が新しい組織の意思決定やプロジェクトに関与できる機会を提供することが有効です。たとえば、統合プロジェクトチームを編成し、異なる部署の従業員に意見を出し合う場を設けることで、新しい組織の方向性に対する理解と共感が生まれやすくなります。
2.自主性を尊重する職務設計
買収される側の企業の従業員にとって、自分が以前のように職務に対してコントロールを持てるかどうかは重要な要素です。職務上の裁量を変化させないことで、従業員が自分の役割を重要視し、組織への愛着を維持することができます。
3.コミュニケーションを通じた帰属意識の強化
従業員が新しい組織に帰属意識を持つには、トップマネジメントの継続的なコミュニケーションが欠かせません。具体的には、M&A後のビジョンや目標をわかりやすく伝え、従業員が新しい組織の一員として期待されていることを認識させることが大切です。
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心理的所有権は仕事のパフォーマンスも高める
心理的所有権は法的な所有権とは異なり、個人の内面的な感情や態度ですから、組織の目標達成やパフォーマンス向上に寄与することも分かっています。
また、「自分はこの仕事をやり遂げられる」という自己効力感を高める効果もあります。自己効力感の高低は仕事の質にも影響するものです。
つまり、「会社は自分たちのもの」と思ってもらうことが、M&A後の企業価値の向上に大きく貢献するということです。
<参考文献>
・Satu Teerikangas, (2012). Dynamics of Acquired Firm Pre-Acquisition Employee Reactions.
・William Y. Degbeya, Peter Rodgers, et al. (2020). The impact of psychological ownership on employee retention in mergers and acquisitions.